人権。ジンケン。

今日は研修でした。けっこう真面目なあたくしは、メモをとりながら講話にいどみました。人権教育と教師としての心構えについての講話でした。
人権教育ってのは、教えるものではなく、子どもたちが教師の姿、大人の姿から学びとっていく「気づき」の教育なんです。昔は「寝た虎を起こすな」思想で闇に葬られてた時代もありましたね。あたしの考え方としては、もちろん知らないことはいけないのですが、知りすぎるのもまた考えものか?と思ったりします。これは教師の力量に関することだとは思いますが。下手な表現で混乱を招くなら知らない方がいいということです。「同和地区に住んでるからって、私たちと違うとこなんてないのよ。みんな平等でしょ。」こういう風に同和教育を受けてきました、あたしは。でもよく考えてみたら、なんかこれこそ差別的な感じがしてきました。自分はあなたたちとは違うけど、権利は一緒よ。という感じがしますわ。あたしが理解力がないだけかもしれないですけど。だからといって、どんな同和教育が最善か、ってのはまだ模索中なんですけどね。今の社会の現状を知らせ、ひとり一人あなたはどうしますか?というディベートなんかも少し興味があります。前が見えない分恐ろしくもありますね。でも心のノートの問題もそうだけど、子どもの心を把握してコントロールしようなんて、大人のおごりではないでしょうか。汚い部分もずるくせこい部分もあって当然だと思います。全てが善の子どもなんて恐いでしょう?でも、その自分のもついろんな部分をどう生かしていくかを学んでいくのが教育だと思います。
勝手なことをダラダラ話してしまったんですが、あたくしは、もっと人間らしい教師を目指したいですな。完璧なんてありえない。教職は聖職だと言われますが、教師も人間ですからね。ずるいし、汚いです。
でもでも、子どもたちのことはとっても大切です。・・・最後に教師らしい一言をいれとかんとね、なんっつて。