おしゃべりと沈黙

なんだかすごく楽しい事が続いている今日この頃です。でも、楽しいんだけど、体がぎゅうぎゅうのスケジュールに悲鳴を上げかかっています。だからものすごい寝てしまっています。寝たり起きたりしすぎて、どれが現実でどれが夢かわかんねーです。
『沈黙は金、雄弁は銀』って聞いたことありますか?西洋のことわざで、『雄弁よりも沈黙の方が説得力がある。』ってことですよね。これって、なんか腹立つんですけど。沈黙は相手に理解を求めてないじゃん、と思います。確かに雄弁でなくてはいけないとは思いませんが、理解を求めてしゃべりまくることは、とても好感のもてるものだとあたしは思います。
また教育の視点になるんですが、無口な子どもばっかりだったら、子どもはどうやって成長していくのでしょう?子どもはコミュニケーションによって成長していくものです。極論だとは思うけど、今すごく「3無の子ども」が急増しとるんです。「無表情・無関心・無感動」の子どもが。少年犯罪が急増、凶悪化してる背景には、こんな子どもの姿も見えないですか?殺す経験がしたいと堂々と話す子ども、幼児の頭部を切断してしまった子ども、もう目をそむけずにはいられません。こんな子どもたちがもしも「おしゃべりな子ども」だったら・・。きっと違っていたのではないでしょうか?「僕はこんなに辛いんだ、モヤモヤしてるんだ」と話せたなら、状況は変わっていたような。
とてもとても幼稚な考えだとはわかっているけど、あたしは、もっと「おしゃべり」を大切にしていきたいと改めて感じています。「沈黙」が生むものは誤解である、と信じて、ね。
おしゃべり人間万歳!!!バンザーイ!